専門医に聞く
“遺伝子治療のいま”
Vol.1遺伝子と遺伝性疾患
横浜市立大学大学院医学研究科
遺伝学 教授 松本 直通 先生
遺伝子とは何か、また、遺伝子のバリアント(変異)はどのように遺伝性疾患と関係しているのでしょうか。本パートでは、遺伝の仕組みや遺伝性疾患を理解するための基礎的情報について、横浜市立大学大学院医学研究科 遺伝学 松本 直通先生にご概説いただきました。
遺伝子は体のどこにあり、
どのような役割を
果たしているのでしょうか。
私たちの体は数十兆個もの細胞からできており、その中心にある「核」には、遺伝情報が書き込まれたDNAが「」として収められています。このDNAに含まれるすべての遺伝情報を「」と呼び、その中で特定のタンパク質を作るための指令を担う部分が「遺伝子」です。遺伝子は、このゲノムの中に並んでいます(図)。遺伝子の主な働きは、主に生命活動を支えるタンパク質を作ることです。遺伝子の情報はメッセンジャーRNAに写し取られ、最終的にタンパク質へと翻訳されます。この一連の流れを「セントラルドグマ」と呼び、ゲノムはいわば生命を形作るための「設計図」として機能しています(図)。人には、タンパク質を作るための情報を持つ遺伝子、いわゆるタンパク質コード遺伝子が約2万個あります。ただし、タンパク質の設計図にあたる部分は、ゲノム全体の約1.5%程度にすぎないとされています。この設計図は非常に精巧で、受精卵が細胞分裂する過程で、セントラルドグマに従って「いつ、どこで、どのように働くか」という緻密な制御により、組織や臓器が形作られていきます。また、設計図の一部には人によって違いがあり、それが身体的特徴や気質といった「個性」として現れます。つまり、遺伝子は私たちが人として存在し、一人ひとり異なる個性を持つための基盤となる情報なのです。
図:遺伝子とその役割
DNAは4種類の塩基[ A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン) ]が並んでいる。この配列のうち、遺伝情報を持っている部分を「遺伝子」と呼ぶ。
塩基配列では、塩基が入れ替わったり、間に他の塩基が入ったり、塩基が抜けたりすることがある。塩基配列の変化によっては、タンパク質の構造や機能が正常に保たれなくなり、病気になることがある。(遺伝性疾患とは)
遺伝子の変異は、
すべて遺伝性疾患の発症に
つながるのでしょうか。
また、先天性/後天性の
バリアントについても
教えてください。
設計図の変化は、「変異」や「バリアント」と呼ばれており、現在は個性や身体的特徴に関わるものも含めて「バリアント」と呼ぶこともあります。疾患に関連するものは「病的バリアント」とされ、タンパク質の生成やその機能などに影響することで疾患の原因になることがあります。一方で、疾患との関連性が考えにくいものは「良性バリアント」とされ、両者は区別されています。
人は父と母から1本ずつ受け継いだ46本の染色体(22対の常染色体と1対の性染色体)を持ち、どの染色体にバリアントを持つ遺伝子があるかで遺伝形式が決まります。2本の常染色体のうち、片方にバリアントがあることで発症に関与する「顕性(優性)遺伝」と、両方にバリアントがそろったときに発症に関与する「潜性(劣性)遺伝」に分けられます。また、潜性(劣性)遺伝では、父母ともにバリアントを一つずつ持つ「保因者」の場合、親に症状はありませんが、子どもが両方のバリアントを受け継ぐと疾患を発症することになります。
また、バリアントが生じる時期によって、「先天性」と「後天性」に分かれます。先天性は、受精卵の段階ですでにバリアントが存在し、体のすべての細胞に共有されます。一方、後天性では受精卵は正常であるものの、その後の体細胞分裂の過程でバリアントが生じるもので、特定の細胞や組織に限局して集積されます。
このように、遺伝性疾患の性質はバリアントの種類、遺伝形式やバリアントが生じるタイミングによって異なります。
いわゆる“突然変異”や、
家族歴がなくても生じる
遺伝性疾患について
教えてください。
遺伝性疾患は、「家族歴がある人だけが発症する」と思われがちですが、実はそうではありません。驚かれるかもしれませんが、私たちは皆、生まれたときに「新たに生じた遺伝子のバリアント(突然変異)」をいくつか持っています。
人のゲノムには、約60億の塩基対があり、その中で両親にはない新しいバリアントが平均で約70個程度生じていることが分かっています。その多くは問題になりませんが、まれに遺伝子の重要な部位にバリアントが生じると、家族歴がなくても遺伝性疾患として発症することがあります。
遺伝子のバリアントを持つこと自体は、生物としてごく自然なことです。重要なのは、そのバリアントが「どの遺伝子のどこに生じたか」と、「そのバリアントが遺伝子の機能にどのくらい影響するか」であり、それによって疾患として現れるかどうかが決まります。言い換えると、誰もが生まれながらにバリアントを持っており、条件によっては誰もが遺伝性疾患の当事者になり得るということです。
遺伝性疾患や遺伝について、ときに「優劣」のように誤解されることがあるが、そうではなく、「誰にでも起こりうる “人との違い” の一つに過ぎない」という理解が大切です。
ゲノム解析とは
何を調べるものですか。
遺伝性疾患の解明に
どのように
役立って
いるのでしょうか。
ゲノム解析は、細胞の中にあるゲノムDNAの配列情報を広範に読み取り、遺伝子のバリアントを調べる技術です。かつては、特定の遺伝子だけを調べていましたが、「次世代シークエンサー」の登場により、ゲノム全体を対象とした大規模な解析ができるようになりました。このような解析によって、患者さん一人ひとりの「遺伝情報のカタログ」を作成し、その中から病気の原因となり得る「病的バリアント」を特定することが可能になりつつあります。
原因の候補を適切に絞り込めれば、診断精度の向上や、新たな治療法の研究にもつながることが期待されます。現在、ゲノム解析は遺伝性の希少疾患をはじめ、原因不明の疾患の病因解明に欠かせない基盤となっています。
さらに近年は、世界中の研究者が蓄積した膨大な遺伝情報をまとめた「ゲノムデータベース」が整備され、日本でもゲノムデータの収集と解析が進んでいます。ゲノム解析で特定されたバリアントをデータベースと照合することで、それが「良性バリアント」か「病的バリアント」なのかをより高い精度で推測できるようになりました。こうした解析とデータベースの活用は、原因不明の疾患の研究や診断における重要な一助となっています。
ゲノム解析の技術進展により、
将来、どのようなことが
期待されますか。
かつては原因遺伝子の特定に長い年月を要することもありましたが、技術革新により、現在では症例によっては数週から数ヵ月単位で特定できるようになりました。今後は、解析の精度と速度がさらに向上し、より多くの患者さんのゲノムデータが蓄積されることで、原因不明の疾患の解明がさらに進むことが期待されます。特に、世界でも数例しか報告がない希少疾患において、ゲノム解析は “重要な手がかり” となることもあります。さらに将来、患者さん一人ひとりに合わせた創薬の基盤となる可能性も秘めています。
また、遺伝性疾患の患者さんが診断に至るまでに何年もわたって複数の医療機関を受診する「診断オデッセイ」は、ご本人とご家族にとって不安であり、大きな負担です。ゲノム解析のさらなる進歩により、この診断オデッセイと呼ばれる状況を短縮できるようになることを、切に望んでいます。
メッセージ患者さん一人ひとりに
寄り添うゲノム医療の
実現のために
私は「ゲノムがすべての医療の基盤の一つになる」と考えて、遺伝学の道を選びました。ゲノム解析の進展は目覚ましく、かつては一部の遺伝子しか解析できなかった時代から、次世代シークエンサーを用いて人の全ゲノムを解析できる時代へと大きく進歩しました。
しかし、最新技術を駆使してもいまだに原因が解明できず、世界中の研究者が挑み続けている疾患は数多く存在します。私は、遺伝学やゲノム解析の研究を通して、この「難攻不落」と言われる疾患の牙城を切り崩し、その全貌を明らかにしたいと考えています。
先述したように、遺伝は決して「優劣」で語られてはなりません。私たちは皆、等しくバリアントを持って生まれています。だからこそ、一人ひとりに寄り添うゲノム医療を実現するために、遺伝学を学ぶ仲間を増やし、エキサイティングな遺伝学・ゲノム解析の世界を切り拓いていきたいと思っています。それが、私の使命だと考えます。
松本 直通 先生のメッセージ動画